2018年ツアー12日目

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2018年09月15日      2018年09月15日

សួស្ដី(スオスダイ/こんにちは)!
សុខសប្បាយទេ(ソクサバイテ―/お元気ですか)?

今年からクメール語を勉強し始め、村で去年よりクメール語がわかる、話せるようになったことを実感し、味を占めている2年のゆうこです。
(ここで一言断っておきますが、今回のブログは他の日と比べて、長いです。笑
が、読んだ時間が無駄にならないような文章を書きたいと思いますので是非とも最後までお付き合いください!)

私は昨年度もツアーに参加しましたが、シェムリアップでカンボジアとお別れしたため、
今年のツアーで生まれて初めてプノンペンに上陸しました。
そんな私が今回お伝えするのは、ツアー12日目(プノンペン2日目)の1日です。

この日、私は、集合時間のわりに朝早く起きて朝食前の散歩に出かけました。

シェムリアップと比べて交通量が多く、混沌とした印象がある首都のプノンペンですが
出勤時間の前の早朝は日中に比べて空気も澄んでいました。
私たちが滞在した場所はトンレサップ川の近くだったので、川辺を散策することに…
川辺では、太極拳をする人や、筋トレマシーンで筋力増強に励む人、

 

ランニングやウォーキングをする人などがいました。なかには子どもまで!

みなさん健康への意識高めです。

我々も負けてはいられない!と(日本では運動公園にありそうな)筋トレマシーンに挑戦してみました。(個人的にはこの用具を誰が作ったのか気になります)

 

なかには難しいものもありましたが、楽しかったです。

続いて川辺をランニング。ここで結成1年と2か月にして初めて、CeeKランニング部の国外活動がなされました!プノンペンで、カンボジアで走れるなんて嬉しい限りです!(距離にすると400mも走ってないと思いますが

ランニングをしてたどり着いた場所で興味深いものを見つけました。一番に目についたのは、日本の国旗です。

よく見てみると…トンレサップ川の河川敷の洪水予防、排水改善事業に日本が携わっているといった看板でした。

カンボジアで日本の国旗を見ることは少ないことではありません。何十年も前からカンボジアと日本は様々な形で繋がりをもってきたからです。

実はツアーの11日目に、バス移動で、プノンペン入りする際に渡った大きな橋にも日本が携わっています。
その橋は、カンボジアの現地通貨(リエル)のなかでも500リエル札の裏側に描かれている橋のひとつ、かの有名な 日本・カンボジア友好橋(絆橋) と呼ばれるものです。この橋を渡り終えると、プノンペンの市街地へ道は続くわけですが、橋のたもとにはJICAのマークがあります。

この他にも学校だろうと思われる建物に大きくカンボジアと日本の国旗が描かれていたりもします。(日本が支援して建てられた学校なのでしょう)
このようなことからも分かるように、カンボジアは、支援やボランティアの対象であるという日本からの視点は根強いものであるように感じられます。
実際に、私たちCeeKのようなカンボジアに携わっている学生団体やNGO、NPOなどは日本に数多く存在します。そんな曲がりなりにもカンボジアに携わろうとする私たちがカンボジアの今、そして未来と向き合っていくために必要なことのひとつにカンボジアの過去と向き合うことが挙げられると思います。

 

前置きが長くなりましたが、12日目のツアーの内容は、カンボジアの内戦時代、大量虐殺の歴史と向き合うこと、そのためにキリングフィールドとS21 を訪れることです。

今回は12日目のことを思い出しながら心のままに書きたいと思います。
昨年プノンペンに行けなかった私は、カンボジア渡航前にキリングフィールドやS21のことを調べて、写真だけでも感じることは多くありましたが、今年実際に行ってみたら
なんと言葉にしたら良いか分からない気持ちになりました。そのためブログとして文字に起こすのは難しいと思いますが、読み手の皆さんに少しでも伝えられるよう精一杯頑張ります。
(今回の投稿では、内戦や大量虐殺時代の歴史についての説明は敢えて詳しく書きませんのでご了承ください。気になる方は昨年度や一昨年度のCeeKのブログをご参照ください。)

 

午前に行ったキリングフィールドは、地面にいくつも咲く紫の花が印象的な場所でした。

想像することは容易ではありませんが、自分があの日立っていた場所で多くの人の命が奪われたと思うと、今でも胃のあたりが熱くなります。私は今年、カメラマンとしてツアーに参加し、CeeKの活動やカンボジアのことを多くの人に知ってもらうための資料として写真を撮ることに責任を感じていました。が、この日はファインダーを覗くのが怖くて、この日に切ったシャッターは一つ一つが他の日よりも重く感じました。

この場所には、
大量の遺骨が見つかった墓地、

キリングツリー、

慰霊塔

などがありますが、
私が個人的に一番印象に残っているのは、入場前に一人一人に渡された音声案内の音声のなかのひとつ、キリングフィールドで殺された人が最後に聞いたであろう音です。革命歌と発電機の音が混ざったそれを目をつぶって聞くと本当に心が痛いです。
そしてこの文を書いている今、こんな言葉しか出てこない、こんな言葉でしか表せない自分に嫌気がさしてきます。

キリングフィールドを出て昼食休憩をはさみました。どんな気分であってもお腹がすくのは皮肉です。当たり前ではありますが、自分は生きているのだと思いました。

午後にはS21(強制収容所)に行きました。
A棟からD棟まである建物にカンボジアの文字であるクメール文字でアルファベットが振られていたことが、いちカンボジア語学習者として印象的でした。

この場所には、拷問に使われたベッドや収容されていた人の写真が展示されていたり、
床に血痕が残っていたり、人々が収容されていた独房が残っています。

一番驚いたことは、足枷がついた鉄のベッドを笑いながら触って足枷に自分の足を入れようとしていた見学者の人を見たことです。なんとも言えない悲しい気持ちになりました。
私は、この場所でもファインダーをのぞくのが怖くて、先ほど述べた独房にも入ることが出来ませんでした。

 

今回訪れた2つの施設に共通して置かれていたものに、分厚いノートがあります。

それは、これらの場所を訪れた人びとが自由に考えたことを書き残していくものです。そこには、世界中の人びとのもう2度とこのようなことを起こさせない、平和な社会をつくるという強い意志が刻まれています。

内戦、大量虐殺の時代を経て、今、カンボジアで人びとは強く生きています。過去を知ったからこそ、自分は彼らの今を生きる姿に惹きつけられていると感じます。

訪れた村で目にした、子どもたちの笑顔や村に住む人びとのたくましさ、誰でも温かく受け入れることができる寛容さ、また個人的に関わりがあるカンボジア人の方々の熱意に、私は希望を、そして人間の可能性を感じ、自分も負けていられないなと思わされます。

 

過去、歴史を知ること、語り継ぐことは勿論大切なことだと思いますが、
私はその先にカンボジアの魅力を見出したいです。

ここまで書いたことは私個人の見解ですが、このように様々なことをメンバーそれぞれが感じ、考えるきっかけになるような充実した時間を過ごすことのできた12日目になったように思います。

一日かけて負の遺跡を巡った私たちは、夜ごはんに日本食を求めて二日連続でイオンに行きました。個人的には複雑な思いがありますが、長期で滞在する日本人にとっては、日本と同じような雰囲気を味わえて良い場所なんだと思います。(メンバーの写真載せてないなと思ったのでここで載せます、笑)


イオンから帰ってきてから去年はホテルの最上階にあった(らしい)バーに行きました。
今は改装工事中といった感じでしたが、プノンペンの夜景を目にすることが出来ました。

やはりこうみると都会ですね。一見日本のどこかの都市にも見えます。
でも、朝に、川辺を散歩した時には川で網漁をしている気さくなひとに出会ったり、他の日には川で水浴びをする人びとを見かけたりもしました。日本の都会なら考えられない光景ですが、あるものを遠くから見たときと近くから見たときには全く異なるものが見えることがあるということを身を以て体験することが出来ました。

 

さて、次回の投稿は、ツアー最終日である13日目のものになります。
ここまでの長いカンボジアでの日々を振り返り、ツアーの締めくくりを、そして
カンボジアへの愛を!

綴ってくれるのは、私と同じく4か月間クメール語を学び、
今回でカンボジアに2度目の渡航を果たした(宮本)ゆうなです。お楽しみに!

 

今回のブログは思いが余って短くまとめることが出来ずに、拙く、冗長な文章であったと思います…。が、少しでも自分が感じたことが伝わっていたら、またこのブログを通して新たな気づきを得ることのお手伝いができていたら嬉しく思います。

ここまで根気強く読んでくださり、ありがとうございました。

以上、CeeK2年のゆうこでした。

 

អវគុណ(オークン/ありがとうございました)!

ជម្រាបលា(チョムリアップリーア/さようなら):)

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