TOUR2016 参日目

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2016年09月08日      2016年12月14日

おはようございます!😤
CeeK写真部のNikon青木です。遺跡でカメラのファインダーを破損しました。

さてNHK大河ドラマ「真田丸」ではちょうど豊臣秀吉の死後、戦乱の世に逆戻りか否かという話をやっていますがカンボジアにもつい数十年前まで戦乱の世が続いていました。その戦乱の世に使用され今に傷跡を残す兵器こそが地雷です。

CeeKツアーメンバーは3日目に地雷博物館へ訪問しました。シェムリアップからトゥクトゥクにトゥクトゥクされること弱1時間。閑静な田舎にぽつんとたつ小さな博物館でした。アキラ地雷博物館日本人応援団の川広さんが同行してくださりカンボジアに地雷が無数に埋められている所以やこの博物館の設立者であるアキラー氏の生い立ち、また地雷そのものについて説明してくだいました。ありがとうございました。

博物館はカナダのNGOやオーストラリアのベトナム戦争の退役軍人グループやアメリカ人のビルさん夫妻の支援のもと設立、運営しています。小さな博物館ですが館内には地雷や不発弾、本物の銃が展示されていました。また孤児院が隣接しておりアキラ氏は戦争孤児の養育にも尽力されていると聞きました。
地雷は人を殺戮する武器というよりも体の一部を失わせて戦える兵士や看護人の不足を狙う極悪非道な武器であり、かつ安価に作れることから内戦時代にカンボジア国内に無数に埋め込まれたということです。ソ連製のものが多いため内戦の背景にはベトナム、ひいては冷戦時代の世界構造に左右されていることが分かります。博物館の創設者のアキラー氏は1973年生まれ。まさにカンボジア内戦中です。5歳で両親が殺され1975年から始まるポルポト政権時代には少年兵として地雷をカンボジアの地面に埋め続けます。内戦〜ポルポト時代に自身が大量の地雷を埋めたという罪悪感から内戦後自力で地雷の撤去作業に取りかかったといいます。一人で5万点もの地雷を撤去し、その一部をこの博物館で展示しています。

地雷博物館だけでなくキリングフィールド、トゥールスレン収容所でもそうですが、戦争によって引き出される人間の陰った部分を学べました。そして今日もカンボジアの街には地雷により手足のなくした人がいて、未だにカンボジアの地には地雷が埋まっているということを忘れてはいけません。

その日の夕方、シェムリアップのとある市場に行きました。そこは観光客向けの土産を売る市場ではなく庶民が生活のために利用する市場です。生肉生野菜生魚。飛び回り生肉に留まるハエ。薄暗く異臭を放つ空間でした。もしナイトマーケット等の観光客向けの市場であれば店の人が”hello sir?^o^”と声をかけ、日本人にはとりあえず”AJINOMOTO(≧∇≦)”とか言っときゃ良いみたいな風潮がありましたがこの市場は誰も話しかけてこない。そりゃそうです。生活で必要なものを売っているのだから何も言わなくても売れる。そして我々日本人が見るに堪えられなく早くこの場を去りたいと感じるほどの不衛生な環境がそこで生きる人々にとっては普通なのです。そこで何年も生きているのです。なるほどこれが文化や習慣というものなのだなと悟ってしまう瞬間でした。あれだね、正直もうあんまりあの市場は行きたくないね、だって臭いんだもん。うん。

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